機関誌「ミドリ」について


2015ミドリ98号「桜ヶ丘緑地にあった『ビール工場』」その1


ミドリ98号
2015年秋号


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はじめに

 横浜市保土ヶ谷区にある桜ヶ丘緑地は、オフィス街と住宅街に囲また1ヘクタールほどのトラスト緑地です。小規模な緑地ですが、原っぱを囲む森から水辺や田んぼなど様々な環境があり、多くの動植物が生息しています。

 また、ボランティアによるビオトープ整備により地元の小学校から多くの子どもたちが訪れ、観察会や保全作業を行っています。

 この桜ヶ丘緑地に残る産業遺構について、神奈川県立歴史博物館の丹治雄一学芸員に寄稿いただきました。

丹治雄一
(神奈川県立歴史博物館学芸部主任学芸員)

 さる2014年9月20日にかながわトラストみどり財団が開催した「桜ヶ丘緑地の明治時代のビール工場遺産講座」で、講座参加者のみなさんと一緒に現在同財団がトラスト緑地として管理されている横浜市保土ヶ谷区の桜ヶ丘緑地を訪れ、かつてこの地にあった「ビール工場」のお話をさせていただきました。小稿では、保土ヶ谷の地にあったこの「ビール工場」の歴史をご紹介し、かつてこの工場の敷地の一部であった桜ヶ丘緑地が有する歴史的意味を考えてみたいと思います。
 

写真:明治末期ごろの保土ヶ谷の「ビール工場」(サッポロビール所蔵)

なぜ保土ヶ谷に「ビール工場」があったのか?

 日本におけるビールの工業生産は、横浜・山手の外国人居留地で始まっており、横浜は日本のビール産業発祥の地と呼ばれています。ビールの本格的な国内生産は、1869(明治2)年に山手で創業したジャパン・ヨコハマ・ブルワリーを嚆矢とし、翌1870年にはウィリアム・コープランドが同じく山手の地にスプリング・バレー・ブルワリーを起業します。コープランドが醸造所を構えた敷地は、「麒麟ビール」を醸造したジャパン・ブルワリーという会社に引き継がれていますので、スプリング・バレー・ブルワリーは現在のキリンビールの起源と見なすことができます。
こうした外国人によるビール醸造からやや遅れて、日本人の中からもその将来性に着目して、ビール醸造に参入しようとする動きが出てきます。その代表例である1876(明治9)年に札幌に設立された開拓使麦酒醸造所は明治政府が手がけた官営事業で、現在のサッポロビールの前身にあたります。さらに、明治10年代に入ると多くの日本人起業家がビール醸造へ参入し、品質や経営規模の面で限界はあったものの、産業としての基盤が次第に整っていくこととなります。続く1887(明治20)年前後には、前述したジャパン・ブルワリー、「恵比寿ビール」を醸造する日本麦酒醸造(現サッポロビール)、開拓使麦酒醸造所を民営化した札幌麦酒、「アサヒビール」を醸造する大阪麦酒(現アサヒビール)の各社が相次いで設立され、大規模な機械設備を導入したビールの大量生産が開始されます。それにともない、明治10年代後半から20年代前半にかけて盛んであった全国の中小規模のビール醸造所は、次第に淘汰され姿を消していくこととなるのです。
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2015ミドリ98号「桜ヶ丘緑地にあった『ビール工場』」

目次
①その1 なぜ保土ヶ谷に「ビール工場」があったのか?
その2 「ビール工場」から清涼飲料水・製瓶工場へ
その3  桜ケ丘緑地の歴史的意味

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